備忘録

だいたいニュアンス

生きてる

相変わらず音楽が好きです。
ロックバンドが好きです。
ライブが好きです。




私の思考の根底には、常に希死念慮がある。
「死にたい!!死ぬしかない!!」と思い詰める日もあれば、
ただただ漠然と「死にたいな」と思う日もある。
この思考は、毎日何をしてても脳内に渦巻いていて、もう10年以上の付き合いだ。


14歳の秋、生まれて初めて、ライブに行った。

人生で初めて触れたロックという文化。バンドという音楽。
周囲の人や流行に流されずに、
私はこれが好きだ!だから聴きたい!と思えた音楽。

生で音を聴いて、全身で感じて、彼らがくれた言葉で、
(何度も使い古されたよく聞く表現だけれど、)
真っ暗だった人生に、光が差した。

この記憶があれば、なんでも頑張れる気がした。
頑張りたいと思った。


それから、学生時代は、好きなバンドが地元に来てくれる時には必ず行き、
社会人になってからは若さと時間をフルに使って無茶な遠征もたくさんし、
ライブに行くことで、自分が生きている意味を見出してきた。

毎日辛いし苦しいし救いがない人生だけど、
私が今日ここに、ライブに来るという選択をしたのは間違ってない。
それだけは唯一自信を持って言える。

そう思いたくてライブに通った。

辛い時は、今まで行ったライブの楽しい記憶を何度も何度も反芻して頑張ってきた。


すごく重い人間だけど、そうする事でしか生き方が分からなかった。


そうやって生きてきた中での2020年。
辛かった。とてもとても辛かった。

もともと、2019年の10月頃から
流石に金銭的に厳しくなったので遠征を控えようと思い、
チケットは所持していたけど行くのを諦めた現場がいくつかあった。
ただでさえそれで精神的にキツかったのを
4月の現場は行けそうだから、それを目標に今を乗り越えよう
と自分を奮い立たせていたので、
度重なる延期、中止、見合わせの報告は本当に辛かった。
自分が全然知らない現場の、そういったお知らせにもダメージを受けた。

生きる理由を無くしてしまった。


5月に転職をし、今までとは全く違う職種になり
それもとても、精神的にも体力的にもキツかった。
所謂ブラックな職場で、これは今も現在進行形でキツいのだけど。

とにかく逃げ場が無い。ストレスの発散先が無い。
心を殺すしかなかった。


それでも、一年、生き延びた。
大好きな人達が、有償無償問わず、
様々な方法で、場所で、配信をしてくれたから。
言葉を伝えてくれたから。想いを届けてくれたから。音を鳴らし続けてくれたから。


ライブもイベントも、今は少しずつ有観客で再開されてきている。
正直、自分が関東、関西在住だったら、
もっと参戦のハードルが低かったのかなとは思う。

それが凄く悔しい。行きたいのに行けない。
金銭、距離、時間が理由で断念したことは今までも何度もあるけど、
そこをクリアしても、周囲への影響やリスクを考えなきゃならない。
行って帰って、楽しかった、はい終わり、じゃなく、
そこからまた体調の変化に気を使い、
何かあったらどうしようと怯えながら過ごさなくてはならないストレス。

仕方ないと分かっていても、開催されて楽しんだ人がいるのを目にしてしまえば
そちら側に行けなかった自分が悲しくて悔しくて惨めになる。


私は、どうも、
“行けなかった”ではなく“行かなかった”というふうに思い詰めてしまう。
金銭的、体力的、仕事の都合、どれを理由にしても、
自分がもっと頑張っていれば本当は行けたのだ。と考えてしまう。
不甲斐ない自分が許せなくなってしまう。

その気持ちがきっかけで、好きだった音楽を聴けなくなるのは
悲しい、苦しい、愚かだ、と理解はしているのに
なかなか傷が癒えない。
他の趣味に没頭したり、別の音楽を聴くことで心を慰めるか、
新しい現場を抑えることで気持ちを持ち直すしか今のところ解決策がない。


私は、好きな物に興味がなくなることを何よりも恐れている。


先日、このブログを久しぶりに眺め、
自分が書いた

“好き”って気持ちを更新し続けて、ひとつのものを何年も何十年もずっと好きでいたい。

という文章を読んで改めてそう思った。


つらつらと綴ってきたが、
結局まとめるとそういう事なのだ。

はやく堂々とライブに行ける世の中になってほしい。